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追っかけリポーターのシルト | マヨネーズ君 |
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私 追っかけリポーターのシルト、君の名前はなんていうの? (*^_^*) |
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俺は羽田マヨネーズ。 俺のこと知らないのー? 俺は羽田空港の大改造プロジェクト「東京国際空港沖合展開事業(沖展)」の際に生まれたのさ!!!(^-^) 俺の生まれた経緯を紹介するよ。 (参照A) |
1971年 | 東京都から「ごみ戦争宣言」が出された。 |
1971年 | 「ごみ戦争宣言」 高度経済成長に伴う廃棄物の処分が危機的状況下に置かれ、羽田沖と中央防波堤外側の海域が浚渫土砂の処分場と決定される。 |
1975年 | 羽田沖廃棄物処理場に浚渫土(後にマヨネーズとなる)の処分開始 |
1981年 | 建設残土の処分場 羽田沖の埋立に使われたのは"廃棄物"として処分されたと建設残土だった。 同じく海上埋立による空港である関西空港は良質の埋立用の土砂を使っているので、”関空とは土がちがう”というのが羽田沖展の大きな問題点でした。 |
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でも、どうして"マヨネーズ"なんて名前がついたの? |
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それはね.....(^_^;) (参照B) |
海抜0~1.5mまで埋め立てられてはいたものの、残土を突き破って下の層のヘドロが地表へと吹き出し、地面と呼べる乾いた地表はごく一部に過ぎず、ほとんど歩くこともできない沼地のようなものだった。 しかも、その表面は普通の地面のように乾いて固まっているように見えても、それは薄皮一枚の世界という危険極まりない土地であった。 小石を投げ入れると容易に薄皮を破り、ポチャンと音を立ててヘドロの飛沫があがる。 そして、とめどなくズブズブと沈み込む。 「泥の海」は,誰言うとなく「マヨネーズ」にたとえられるようになった。 徐々に埋立地の排水が進み水位が下がってくると、地中から吹き出したヘドロが泥の中から露出し、それが乾くと瓦状に深さ30センチあまりのクラックができる。 こうした部分は比較的泥の多い部分の表面が乾燥して固まり、ちょうど氷の張ったような状態になっているため、人が歩ける目安となった。 このような安全地帯が広大なヘドロの海の中の所々に、ひび割れた粘土の薄い板が流氷のように連なっていたのです。 |
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それはずいぶん技術屋さん泣かせなことをしたね。 でも、どうやってそんな君がりっぱな羽田空港へと生まれ変わったんだい。? |
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まず、徹底的に調べられてから地盤改良されたんだ。 |
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どんな風に調べられたの。 |
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俺もあれほど綿密に診断されるとは思っていなかったよ。 まったく、ぐちゃぐちゃになっちゃったものさ。(参照C) |
マヨネーズ層に砂層が入り組んで複雑な地層を形成しているため、綿密な調査を必要とした。 1. 埋立護岸の調査 羽田沖は沖積粘土層→圧密沈下 調査方法:ボーリング 鋼製足場を組んで埋め立て予定ラインに沿って海上ボーリングがおこなわれた。 2. 空港施設配置が決定後の調査 支持層(約90m)までボーリングを行ったもの:滑走路,橋梁部,格納庫,管理施設 軟弱地盤(約70m)の把握のためのボーリング:エプロン,シールドトンネル,駅舎,アクセス道路(ボックスカルバート) 特にエプロンでは測点はメッシュに置かれ、ボーリング,三成分コーン試験,ラムサウンディングが行われた。(エプロンが一番不等沈下の影響を受ける) 埋立を行ってからまだあまり時間が経過しておらず、ボーリングの際保孔のためのケーシング挿入を地中深くまで行なった。 |
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マヨネーズ君も大変な目に遭っていたんだね。地盤改良はどうだった? |
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日本の地盤改良技術の高さを思い知ったよ。 そして俺は羽田空港の下敷きになっているってわけさ。 まあ、立派に更生(改良)されてよかったんだけれどね。(参照D) |
マヨネーズ君改良に向けて、羽田沖展では最先端の技術が盛りだくさんでした。 地盤改良工法としてバーチカルドレーン工法,プレロード工法が採用された。 |
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地質調査は「沖展」の中でどんな役割を果たしたのか教えてくれないかなぁ? |
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人工的に複雑な層を織りなす羽田沖を空港利用するためには、その複雑な地盤を把握しないことには始まらないといっても過言ではないんだ。 滑走路やエプロンはちょっとした凸凹や計算外の傾斜なんかが生じると使えなくなるし、空港のターミナルビルとか管制塔といった施設が傾いたりしてもたいへんだろ。? そうなると、不等沈下を起こさないための地盤改良に躍起にならざるを得ないんだけれど、地盤情報がないことには地盤改良もできないしね。地質調査は空港建設の最初の一歩だったわけさ。 |